百まいのドレス

エレナー・エスティス作 ルイス・スロボドキン絵のこの絵本は
50年以上前に岩波書店から「百まいのきもの」というタイトルで出版されたものです。
2006年に改訳をして再発行されたようです。

美しい水彩と、たぶん色鉛筆を組み合わせた絵です。
なぜか人の顔はあまりはっきり描かれていませんが、それが多分ふさわしいのだと思います。
この本に出ているのはわたしであり、あなたでもあるのだから
私はそんなふうに感じます。


ワンダという名前のその少女は、学校に来なくなっても誰も気づかないくらいおとなしい子です。
3日くらいクラスメートの子はワンダがきていないのに気づきませんでした。
それがどうして気づいたかというと、登校途中にワンダをからかって遊ぼうと思ったのに
ワンダは登校せず、その子たちふたりは学校に遅刻してしまったからです。


この本は、いじめの本です。
もちろん作品が作られたころは「いじめ」なんて言葉はありませんでした。
差別、という意識でくくられていたのかもしれませんね。

ワンダ・ペトロンスキーなんてかわった名前だから
ほとんどしゃべらない子だから
百まいドレスを持ってるなんてうそをつくから

クラスメートの少女たちはワンダをからかいます。
「ドレスを何枚持ってるの?」
「靴は何足あるの?」
「ぼうしはいくつあるの?」
くりかえし、くりかえし…。

それを面白いと感じない子もいます。ペギーの友達、マデラインがそうです。
でも、ワンダをかばうことはできません。せいぜい自分は何も言わないようにするくらい。
そして、せめて手紙を書いて、やめてくれるように言ってみよう
そんなふうに思っても実行できず、そのうちにそのことも忘れてしまいます。

ワンダが学校に来なくなったことにペギーとマデラインが気づいた次の日は
デザインコンクールの発表の日でした。
子どもたちは教室に入って驚きます。教室中がうつくしいデザインのドレスの絵でいっぱいだったからです。
それはすべて受賞者のワンダの作品でした。


ここでワンダが登場すれば、物語はまた違った展開になるのですが
この物語では、ワンダの一家は引っ越しをして、その連絡が手紙で学校にきます。
ワンダの父親からの手紙には
「大きな町に引っ越すので、ポーランド人だとばかにされることも、へんてこな名前だとからかわれることもありません」
と書いてありました。

ペギーとマデラインは反省しますが
いままでのことを消すことはできません。
どんなに自分に都合のいい言い訳をしても
ワンダをかばう想像をしても
それは違うことだ、という、おそらく良心の声がひびくように
いやな気持をふりはらうことができません。
ペギーの方がいつもからかっていたのに、気持ちを引きずっているのはマデラインの方です。
ペギーは自分を納得させるのが上手で、ワンダに感心したことで自分の気持ちや(たぶん自分のした行動も)書きかえているのでしょう。

家まで行ってみても、やはりワンダ達はいませんでした。
なにか自分たちの行為をつぐなったりとりもどせたりしないだろうかと
ふたりはワンダにあてて手紙を書いてみたりします。

そして、直接ではないにしても教室あてに返事がきます。
みんなにあの百まいのえをあげます、ペギーにはこの絵を、マデラインにはあの絵をあげます、と
二人には絵の指定をしているのです。
そして、家に帰ってワンダからもらった絵を見たマデラインは、あることに気付きます…。


物語は終わりですが、
私はほんとのところ、ワンダが教室のみんなにあてた手紙が気になるのです。
その手紙は「前の学校の方が良かった」とむすんでありました。
ワンダのその後がとても気にかかります。

またいじめられているのでなければいい。
単に新しい学校にまだなじめなくて、前の学校が恋しいような気がしているのであればいい。
そんなふうに思ってしまいます。


学校に通う、女の子たちに読んでほしいです。
小学校でも中学校でも高校でも
女の子の細やかな心理をよくあらわしていますので
(たとえ苦い思いであっても)共感しながらこころのどこかに残る物語だと思います。
スポンサーサイト

サンタクロースと小人たち

ちいさなもみのき

comment iconコメント ( -0 )

コメントの投稿






trackback iconトラックバック ( -0 )

Trackback URL:

この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。