もしかするとけっこう引っぱるかも?

「赤毛のアン」を
本日もご紹介します。


内容(「BOOK」データベースより)
ちょっとした手違いから、グリン・ゲイブルスの老兄妹に引き取られたやせっぽちの孤児アン。初めは戸惑っていた2人も、明るいアンを愛するようになり、夢のように美しいプリンス・エドワード島の自然の中で、アンは少女から乙女へと成長してゆく―。愛に飢えた、元気な人参あたまのアンが巻き起す愉快な事件の数々に、人生の厳しさと温かい人情が織りこまれた永遠の名作。

著者はL.M.モンゴメリさん
訳者は村岡花子さん
出版社は新潮社です。
ちなみに今回紹介するのは2008年の改訳版。お孫さんが省略させていた部分の
追記訳をいれて完訳になったらしいです。

前記事は
こちら

モンゴメリ作品は
コミカライズされた作品が「幻想綺譚」に収録。
そのほか
青い城

丘の家のジェーン

このブログで紹介しています。


前記事でたどり着けなかった省略の話。
ネットでググったところ
ページの関係では?
とか
マリラのキャラをこわしたくなかったのでは?
とかいう意見を読みまして
どれにもうなずけました。

それにつきまして
省略を促したのは「誰」か?

というのも、ワタシは追加で考えています。

村岡さんが独断で省略したとは考えにくいのですよね、なぜか。
だって、訳すのはひとりでも、本を出版するのはひとりではないから。
なんとなく、ですけども
出版社の編集さんとのディスカッションの結果そうなったような気がするんです。

この本が最初に出版されたのは
なんと1952年!半世紀どころか60年たってるわけで、てことは還暦じゃないっすかー!?

その時代の大人(そしてたぶんおそらく会社で決定権を持っていた人とさらに狭めると、高い確率で男性のはず)は
母親代わりの女性が娘に対して「愛している」とハッキリ言葉にだして伝えるのをヨシとしたか?
と考えると、ぶっちゃけ
「ないわー」
じゃないですかねぇ。当時の常識として。

あのアンに骨抜きラブラブ状態のマシュウでさえも
「かわいい」止まりですよ。
まあ「12人の男の子より、アンという女の子ひとりのがいい」とは言っていますが
「好き」とか「愛している」とかいう『愛情の言語化』はしていないのですよね。
そもそも親の愛情って、感じているとしてもわざわざ言う必要がない(そんなのは当たり前でしょ?という前提だったりもする)わけで
わざわざ口にするというのは、いかにマリラが取り乱していたかでもあるんですよね。

だからこそここでふたりの絆が強まったわけでして
マリラはここで口に出したことで安心して
その後、弱いところもアンに向かってさらけ出せるようになっているんですね。
アンが残ってくれることに対して後ろめたさがありつつもやはり安心できる、うれしいというように。

これは当時の日本人としては
『あってはならじ』な反応だったんではないかなー
と思います。
じっさい、後の章で省略されたのもこのあたりなのでね。

日本の母であれば
子どもが進学する、ましてや奨学金をとっているのだからお金の心配はいらない、なんていう場合は
やせ我慢をしてでも行かせる(べき)
みたいなのが国民的なスタンダードだったと思われ
それは今ドキでも美談になるし
半世紀以上前の日本であれば推して知るべしではないかしらと。

村岡さんが完訳をして
初校あたりの校閲で「ここはちょっといかがなものかと…」などと言われ
「ですが原文では…」とやりとりの結果
編集と訳者の落とし所を探して
最終的に旧版の訳になったのではないかなぁ
などと妄想しきり。

時代によって、受け入れられかたが違うのは
言うまでもないこと。
初版時は完訳がNGと思われ
現代では完訳ではないことがNGとなる。
時の流れを感じさせてくれる作品でもあるように思いました。


さてさて
実は「アン」についてはまだまだ書き足りなかったりするので
さらに次の記事に続けます★
長くてごめんなさ~い!!
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赤毛のアン 村岡花子訳 ・ その3

赤毛のアン 村岡花子訳 ・ その1

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